
ゴッホ展
上野の森に秋の風が吹く午後
上野寛永寺 根本中堂に引き続き
東京都美術館で開催中の
「ゴッホ展」に行ってきました




入口から漂う静かな緊張感
照明に浮かび上がるポスターに
期待感が一層高まります

光と色が語る、ゴッホの情熱
フィンセント・ファン・ゴッホは
1853年にオランダの小さな町に
牧師の子どもとして生まれました
絵を描くのが大好きで
弟のテオとは大の仲良しでした
大人になってからのゴッホは
美術商、フランス語の先生、本屋さん
牧師など色々な仕事をしましたが
どれも上手くいかず
ようやく27歳で画家になることを決意します
たった一人で絵の勉強を始めたゴッホが
描いたのは田んぼの刈り入れをする人
炭鉱や工場で汗を流して働く人など
ゴッホはそんな人たちのことが
心から好きだったのです
でも、今日彼の作品を
地代変遷とともに観ましたが
初期の作品は暗く重いトーンが多く
貧しい農民の生活を描いた絵には
彼の当時の社会へのまなざしを感じました
その後、本格的に絵の勉強をするために
パリに移り、画商として成功していた
弟テオと一緒に暮らすことにしました
このころからゴッホは
日本に心を惹かれるようになり
毎日のように浮世絵を眺めながら
日本の景色を夢見るようになります
今日、展示会で見た絵や手紙にも
当時の彼の日本への憧れがあふれていました
やがて、2年間過ごしたパリを離れて
南フランスのアルルという町に引っ越すのは
そこに日本に似た景色があるに違いないと
思ったからでした
ゴッホには長い間、心に膨らませてきた
夢がありました
それはアルルに芸術家が集まって
皆で一緒に暮らしながら作品を
生み出していけるような「家」を
作りたいという夢でした
その最初の仲間として
ゴッホは友人の画家ゴーギャンに
「ぜひ来て欲しい」という手紙を
何度も出しています
そして、ついにゴーギャンがアルルに来ると
二人は早速「黄色い家」という名前の
アトリエで一緒に暮らすことにしました
「ひまわり」「アルルの寝室」「星月夜」
この間の作品はどれも明るく力強い
画風にガラリと変わっています
色彩そのものが感情を語りかけてくるよう
弟のテオはゴッホとゴーギャンの生活が
上手く行くようにパリからお金を送って助けました
本当に兄想いのいい弟だと思いました
純粋に純粋に兄を慕っているのです
ゴッホとゴーギャンは仲良くアルルの町を歩き
一緒に絵を描き、お互いの絵を見せ合って
感じることを話し合いました
ところが、絵については中々考えが合いません
お互い夢中になり、喧嘩になってしまう
といったことも度々
やがてゴーギャンは黄色い家から離れてしまいます
そんなある日
ゴッホは自分の気持ちを抑えきれなくなり
刃物で自分の耳を切ってしまいます
驚いたゴーギャンはテオに電報を
打ってこれを知らせると
そのままアルルを去っていきました
ゴッホの心に大きな傷が残り
ゴッホは重い心の病気に罹ってしまいます
ゴーギャンがアルルを去ると
周囲の勧めもあり
アルル郊外の病院に入院します
ゴッホは病気と闘いながらも
絵を描き続けました
病院の窓から見える麦畑や中庭
病と闘う自分の顔も沢山描いています
正直、この頃の絵を何枚か観ましたが
線が歪んでいたり
配色が明らかに偏っていたり
やはり、心の傷…病は相当重かったようです
やがて、病気が良くなると
パリに近い町オーヴェールに移り
精神科医ガッシェ博士の元で療養を続けます
この地で亡くなるまでの2ヶ月に
ゴッホは約70点の絵を描いています
「オーヴェールの教会」もその一つです
深い青色の空に渦巻く光
波打つ線で描かれた教会
暖かさを感じさせる
明るい色使いで描かれた草木
ゴッホの苦悩や不安を
暖かな力が支えているような
安定感を感じます
ところが、この絵を描いた一ヵ月後に
ゴッホは銃で自らの命を絶ちます
このとき、ゴッホは37歳
画家になってからたった10年でした
あまりに短い人生です
画家という人生を物凄いスピードで
走り抜けたという感じです
下は、会場の一角で映写されていた
イマーシブ(没入感)ビデオの画像です



弟テオと妻ヨーの愛が守ったゴッホの遺産
ゴッホの生前に売れた絵は、たった一枚
それでも彼が描き続けられたのは
弟テオの存在があったから
パリで画商をしていたテオは
兄の才能を誰よりも信じ
生活費と画材代を送り続けました
今日、美術館に飾られていた
テオからゴッホへの手紙には
たびたび「ありがとう、テオ」
という言葉が綴られていました
そしてゴッホ亡き後
間もなくテオも亡くなってしまい…
彼の作品を後世に伝えたのは
テオの妻ヨー(ヨハンナ)でした
ヨーは膨大な手紙と絵を整理し
展覧会を開いてゴッホの作品を世に広めました
もし彼女の努力がなければ
「ひまわり」も「星月夜」も
私たちの前に姿を見せていなかった
かもしれません
また、テオとヨーの息子(ゴッホの孫)
フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホは
ゴッホ美術館の開館に尽力し
ゴッホ財団を管理するなど
ゴッホを後世に伝えるため
多大な役割を果たしました
この展覧会で
絵の隣にテオへの手紙の抜粋が
展示されていたのですが
その文字を読んでいると
“家族の愛が、芸術を未来へとつなげた”
という深い物語を感じました
絵画の前で感じた「生きること」
展示を見終えて、妻と一緒に
上野公園のベンチに座りながら
空を見上げました
青空に秋雲が漂って
空のグラデーションが
まるでゴッホの絵のようでした

彼が描いた色は
絶望の中でも「希望」を見つけようとした
そんな心の証
だったのではないか
また、今こうして私たちが
当然のように観ることができる芸術は
描いた画家はもちろん
それを支え、守り、伝え続ける人の愛
でもあるのだ
そんなような気持ちに包まれました
感謝
<情報>
場所:東京都台東区上野公園
   JR東日本上野駅公園口から徒歩3分
期間:2025年9月12日~12月21日
   9:30~17:30(金曜日は20:00まで)
休室日:月曜ほか
作品:今回の展示会では、ゴッホ美術館収蔵の作品と
   いうことで、ゴッホの作品以外にも著名な画家の
   作品を観ることができます

