べらぼう巡り「蔦重の 夢が息づく 粋なまち」


令和7年のNHK大河ドラマ。
1月5日から「べらぼう~蔦重栄華の夢噺」が放送開始。

地元台東区のあちらこちらに紫色のノボリ旗「蔦重の 夢が息づく 粋なまち」
以前から気になっていたので、のんびり蔦重ゆかりの地を巡ってみました。

⓪上野駅(JR、東京メトロ日比谷線、銀座線)
①台東区役所・スタート地点(台東区東上野4-5-6)
②誓教寺(同元浅草4-6-9)
③正法寺(東浅草1-1-15)
④平賀源内の墓(橋場2-22-2)
⑤見返りの柳(千束4-10-8)
⑥江戸新吉原耕書堂(千束4-24-12)
⑦吉原神社(千束3-20-2)
⑧台東病院・めぐりんバス停(千束3-20-5)

⓪上野駅(JR、東京メトロ日比谷線、銀座線)から、
浅草通りを東に向かって5分ほどのところ。

スタート地点は①台東区役所(台東区東上野4-5-6)です。
区役所の壁面には「蔦重の 夢が息づく 粋なまち」の垂れ幕が。

江戸の出版プロデューサー、メディア王こと蔦屋重三郎(版元)。
世界で愛されるジャパンアートの代表格、浮世絵や錦絵を世に広めた人物です。
配役の横浜流星さん、格好いいし、快活でいいですね。

当時の出版業を支えたのは木版印刷
すでに活字を組んで印刷する活版印刷もあったそうですが、
アルファベットを使うヨーロッパ言語と異なり、
平仮名、カタカナ、漢字と多種類の文字を用いる日本では、活版よりも、
版木に文章や絵を彫り込む木版印刷の方がコストを抑えられたとのこと。

ちなみに、現在の「TSUTAYA」(蔦屋書店)は、
親類だとか直接的な関係はないようです。
しかし、創業者増田宗昭さんの祖父が営んでいた置屋の屋号が「蔦屋」で、
蔦屋重三郎にあやかって名付けられたとのこと。

さて、区報の案内を手に区役所から歩き出します。

まずは、再び浅草通り、通称仏壇通りに出て東へ。
銀座線稲荷町駅を過ぎ、松が谷一丁目の交差点を右に曲がり、
光明寺の奥にある②誓教寺(台東区元浅草4-6-9)を訪ねます。

ここには「富嶽三十六景」で有名な葛飾北斎(1760~1849)の墓があります。

「勝川春朗」と名乗っていた若き日の葛飾北斎も、蔦屋重三郎の元で浮世絵を出版。
北斎は嘉永2(1849)年に亡くなり、この地に埋葬されています。

寺の片隅にひっそりと。
案内されなければわからないほどこじんまりとしたお墓でしたが、
私と同様に案内を手にしたご夫婦が幾組か。

墓石正面には北斎の画号の一つでもある「画狂老人卍」が、
右側面には辞世の句「ひと魂でゆく気散じや夏の原」が刻まれていました。

再び浅草通りに戻り、さらに東へ。
途中、菊屋橋の交差点を渡ると、左手に「かっぱ橋道具街」のアーケードが見えます。
振り返るとビルの屋上には「世界のニイミ」の巨大コックおじさん

そのまま直進し、600mほど歩いて寿四丁目の交差点を渡って左へ。
200mほど歩くと、いよいよ浅草の賑わいが伝わってきました。

雷門一丁目の交差点を右に回ると、
先方にはスカイツリーとアサヒビール本社のビルが。

400mほど歩くと、浅草雷門の人だかり。

今日は日曜ということもあって、
また、中国の春節も影響しているのでしょうか。
雷門の前では写真も撮れないほどの人で大混雑。
浅草の風物詩、人力車も大賑わいでした。

今日は、ここは素通りして、さらに東へ。
吾妻橋の交差点を渡って、浅草松屋の向こう側、国道6号線を左(北)へ。

600mほど歩き、言問橋西のV字の交差点を左の都道464号へ。

しばらく進むと、左手に見えてきました。
次に訪ねたのは蔦屋重三郎(1750~1797)の墓

東浅草の③正法寺(台東区東浅草1-1-15)に埋葬され、
墓碑には蔦屋重三郎の本名「喜多川柯理(からまる)」が刻まれています。

こちらは立派な石碑でした。傍らには重三郎母子顕彰碑も。
重三郎は、7歳の時に母と別れて喜多川氏の養子となり、
「蔦屋」は喜多川氏が経営していた店の屋号で、
重三郎は、そこで幼年期を過ごしました。

北へ向かって600mほど歩き、東浅草二丁目の交差点を右へ。
300mほど進み、橋場交番前の交差点を渡って左へ。

200mほど進んで、大きな通り(明治通り)の手前のT字路を右へ。

次は④平賀源内の墓(台東区橋場2-22-2)です。

墓地の入口、閉められている門をそっと開け、中に入ると、
そんなたいそうな活躍をした方とは思えないほど、
ひっそりと祀られていました。

大河ドラマでも、要所要所に登場する、まさにキーマンです。
配役の安田顕さん。素晴らしい演技。まさに適役ですね。

平賀源内は、江戸時代の奇才として、
エレキテル(日本で初めて復元された電気機器)の復元
燃えない布・火浣布
量程器(万歩計)
寒暖計、磁針器

など、多くの発明をしました。

このほか、本草学者、地質学者、蘭学者、画家、劇作者など、
多彩な才能を発揮した方です。

出身は讃岐の国にあった高松藩ですが、
老中田沼意次(渡辺謙さんもさすが)にその才能を見出され、
秋田藩では鉱山指導も果たしたそうです。

先ほど来た道を引き返し、再び東浅草二丁目の交差点へ。
今度は、そのまま西に直進し250mほど。
吉原遊郭への出入り口となる吉原大門交差点へ。

⑤見返りの柳(台東区千束4-10-8)がひっそりとたたずんでいました。

遊郭帰りの客が名残を惜しみつつ、
この柳あたりで振り返ったことからこの名が付いたそうです。

S字カーブを描いている五十間道(ごじっけんみち)
日本堤から吉原遊郭の様子が見えないよう工夫されているそうです。
確かに柳のところで振り返っても、吉原の花街があったあたりは全く見えません。

NHK大河ドラマでは、吉原の入口として大きな黒門が表現されていますが、
当時は、この吉原大門の標識のところに、それがあったのでしょうか。

蔦屋重三郎はこの五十間道の中ほどに、
安永2年(1773年)、書店「耕書堂」を開業し、世に大量の作品を出版しました。

この地に、先日、⑥江戸新吉原耕書堂としてオープン(台東区千束4-24-12)

吉原町会の会館を改装したようです。
店はさほど大きくないのですが、店内には所狭しと蔦重に関わるグッズが。
外国の方を含め、沢山の方が訪れていました。

花魁の高下駄や華麗な着物を身に着けた女性。
当時の吉原花街の大地図も飾ってありました。

私も記念に、「おりづる 東洲斎写楽 役者絵」の折り紙を買ってきました。

折り鶴専用用紙27枚、浮世絵一覧図2枚、これらが2セットで56枚入り。

さっそく一枚、鶴を折ってみました(鶴を折ったのなんて何十年ぶりだろう? 笑)。
広げた翼に役者絵と名前。なかなか良く出来ていますね。
外国の方用に、鶴の折り方の図も載っています。
税込みで660円。とてもお洒落でリーズナブル。気に入りました。

(お店の方が、シャッターにも綺麗な浮世絵が描いてあると教えてくれたので、翌朝、いつもの早朝ランニングで、もう一度江戸新吉原耕書堂を訪ね、シャッターに描かれた浮世絵をパシャリ。下の写真です。)

なお、耕書堂は天明3年(1783年)に日本橋に移ったようです。
その跡を記す碑は、中央区日本橋大伝馬町13にあります。

こちらは、今朝、一足先に、ランニングで訪ねてきました。
日本橋小伝馬町のオフィスビル群に囲まれ、
ひっそりと碑が建てられていました。

江戸新吉原耕書堂を出て西へしばらく歩くと、
右手に⑦吉原神社(台東区千束3-20-2)が見えました。

吉原神社には、「玄徳稲荷」と、廓の四隅の
「榎本稲荷」「明石稲荷」「開運稲荷」「九朗助稲荷」
という5つの稲荷社が祀られています。

明治14(1881)年にこれらが合祀され創建されたのが「吉原神社」
その後、近隣の吉原弁財天も合祀され、
現在は計6つの神様が祀られています。

大河ドラマの影響でしょうか。
神社前には訪ねる方々が大勢いらっしゃいました。
私もお参り。

境内には、ドラマで綾瀬はるかさんが演じている
九朗助稲荷のおきつねさんの紹介も。

地図にあるように、九朗助稲荷跡は、
吉原神社から歩いて2分ほどのところにあります。

また、地図にあるお歯黒溝跡へ行ってみると、
住宅横の段差にその痕跡を見ることができました。
当時水が流れていた溝は、今は埋め立てられ、
道路となっています。

さて、帰りは神社の20mほど先にある⑧台東病院から、
台東区のコミュニティバス「南めぐりん」に乗ります。

緑とオレンジ色のミニバスが可愛い。
このバス停では、このほかに2種類、
北めぐりんと東西めぐりんもあるので、ご注意を。

バスは20分間隔でやってきます。

20分ほどバスに揺られて、出発地点の台東区役所に。

1925年3月22日にNHKラジオから始まった放送
今年でちょうど100年を迎えるとのこと。

若い人は、テレビをほとんど観ない方も多いようですね。
映像媒体も様変わりしています。

これまでの100年のうち、この10年、いや5年で、
放送に代わる手法も劇的に変化しています。

今から10年後。「伝える。残す。」というメディアの形態は
どうなっているのでしょうかね。

上野駅をスタートしてバスに乗るまで、徒歩約6km

「蔦重の 夢が息づく 粋なまち」

どうぞ、天気の良い日に訪ねてみてください。

あまり歩くのに自信のない方は、上野駅、あるいは浅草駅からめぐりんに乗って、
直接台東病院へ向かうというのもお勧めです。

#べらぼう#蔦重#吉原#耕書堂#吉原神社#平賀源内#見返りの柳
#九郎助稲荷#蔦屋重三郎#葛飾北斎

Translate »
PAGE TOP